無料と書いてタダ?
「タダほど恐ろしいものはない。」
確かに、一理ある。けれど
こんな言葉が生まれた理由はなんでだろう。
見返りが怖いからかな、何か企んでると思うからかな。
確かに悪徳なタダ、無料と煽ってする悪徳商法はあるし、許される事じゃない。
でも、最近思う。
ダダは与え、受け取ると満たされる。
タダって心だ。と。
心と書いてタダ。
タダという言葉が重くて深いっていう事には変わりないのだが。
もう凄いのよ、最近思うタダが。
「タダの価値って心に効く」んだよね。
考えてみれば、日常生活でタダな行動、たくさん目にしてる。
行動だと
笑顔、挨拶、感謝、道案内、などなど。
コミュニケーションだと
ありがとう!気をつけて!行ってらっしゃい!調子はどう?
もちろんコレら行動や言葉にお金は発生しない。
そう、タダで差し出す言動、行動を沢山をしている人って、
すごい魅力的。
沢山のタダを持ち、使っている人。
みんなの周りにもいるよね。
お金を支払う行事とは別のところで、
素敵な笑顔な人=元気をくれる、丁寧に取り組んでいる人=教養が身に付く、笑いを提供してくれる人=幸せになる、商品を買うだけに留まらず知識を教えてくれる人=学びと時間をくれる、オーソドックスに物をくれる人=形として心をくれる人。
これらはお金以外の行動である。
もっとわかりやすく言うと、通い慣れたラーメン屋があったとすると、一杯800円のラーメンを支払えば終わりだが、大将との雑談や有益な会話、笑い話、面白い話があったとしたら、800円とは別の所で見えないタダが発生している。心を通わせている。
そしてそのタダは自分の心を満たしてくれたり、安心させたり、嬉しくさせる。
どう?タダのイメージ変わるでしょ?
日々の暮らしにタダってめちゃくちゃ溢れてる。ほんと感謝感激。
タダはネガティブだけじゃない。
ポジティブに考え、じぶんの持っているタダを沢山提供をしたい。
タダは心。
自分の中でタダをいっぱいに満たし、タダという心を使い、周りを満たしたい。
“無料”なんて意味に当てはめるだけじゃ勿体ない!
“気”を使わず、沢山の“心”を使おう。
グッドナイト。